ある日ふと、想ったのだ。
無性に富士山を観ながらお風呂に入りたい!と・・・。
ラグジュアリーでお洒落な所ではなく、地域特有なコミュニティー感満載の
昔ながらの銭湯って所へ行きたくなったのである。
これは私の思い込みだが銭湯とは、
1、身体はもちろん!心も温まる義理人情あります!
2、常連ボスがいる。
3、ココの銭湯にあった正しいお風呂の入り方作法あるから礼儀正しくねっ!
みたいな・・・。オキテというか、シキタリみたいなのがあるというか・・・・。
そういう雰囲気も味わいたかったのだ。(あくまでも思い込みです)
思い立ったら吉日、以前から気になっていた銭湯へいざ出湯(しゅっとう)!
昭和感満載のレトロな建物。
鍵のないフリーな木製下駄箱。
のんびり雰囲気漂う番台のおばちゃん。
〇〇牛乳と書かれている、レトロなプラスチックベンチ。
たくさんの人たちを揉みほぐしたであろう、年期の入ったマッサージチェアー。
長年使ってきましたよ。と言わなくてもわかる味わい深い籐の籠。
丁寧に敷き詰められたおしゃれなレトロタイルの浴槽にケロヨンの桶、
「宝」と書かれている、赤と水色のレバー自閉式水栓。
ゴーゴーと湯を流し、あつめな浴槽とぬるめな浴槽。
BGMは桶の音、おばちゃんの笑い声とおじちゃんの「カーッペッ!」(痰を吐く音)
そう・・・。コレコレと満足しながら湯船につかる。
お客さんはおばちゃんふたり。
おばちゃんA 「あたま洗ってあげようか?」
おばちゃんB 「今日は美容室へいった帰りだからだいじょうぶだよ。ありがとう。でもあしたは来られないのよ~」
おばちゃんA 「そうなの?じゃー、あしたの分も背中流してあげるねっ!」
というほっかほっかな会話が聞こえた。
「あしたの分も背中流してあげるねっ!」なんて、いい言葉。
心もあたたまる。
人情あったね~。
おばちゃんAは面倒見のいいお方なようで、番台のおばちゃんに、
「今日はカビ〇ラー持ってきたから掃除してあげるね!」といって洗い場のタイルの床掃除がはじまった。
シュッシュとカビ〇ラーを床に振りまく。
番台のおばちゃんはお掃除が苦手なようで、日頃からおばちゃんAがお掃除しているようだ。
細かなところまで通じあう人間関係が築かれている。
風呂場はたちまちカビ〇ラーのニオイで充満することは想像できるであろう・・・。苦笑
足早に退散。
帰りの車中で石川九楊さんの著作「筆蝕の構造」の一説を思い出す。
「話す」ということは東アジアと西欧では逆転し、東アジア・漢字文化圏では、縦に文字を書き、横に話す。話すときは相手といわば水平に直接話す。ところが西欧・アルファベット圏では基本構造として神に向かって縦に話し、横に文字を並べて書くと・・・。
湯けむりで浮かんだ、「話す」「書く」「言葉」というワード、紐を解き伝えていこう!と、おばちゃん達のおかげで心のアンテナがピンと張った。
・・・・。
「あれ?富士山あったかな?」
人恋しかったのかな・・・。
また銭湯へ行こう!
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